国が滅びるとき

 雁屋哲さんが、そのブログ「雁屋哲の今日もまた」の最新の「奇怪なこと」を次のように締めくくっておられる。

一つの国が滅びるときには必ずおなじことが起こります。

支配階級の腐敗と傲慢。
政治道徳の退廃。
社会全体の無気力。
社会全体の支配階級の不正をただす勇気の喪失。
同時に、不正と知りながら支配階級に対する社会全体の隷従、媚び、へつらい。
経済の破綻による社会全体の自信喪失。

これは、今の日本にぴったりと当てはまります。
私は社会は良い方向に進んでいくものだと思っていました。
まさか、日本と言う国が駄目になっていくのを自分の目で見ることになるとは思いませんでした。
一番悲しいのは、腐敗した支配者を糾弾することはせず、逆に支配者にとっては不都合な真実を語る人間を、つまはじきする日本の社会の姿です。

 それが世界的な資本主義のゆきづまりの中で,福島の核惨事をショックドクトリンとして現実化した.根なし草言葉による根なし草近代,そのなれの果てとしての現代日本である.これらのことは「分水嶺にある近代日本」 を見てほしい. 
 そして,このなれの果ての地から,それでも立ちあがってゆこうとするためには,考える言葉と言葉に蓄えられて智慧を取り出さねばならない.その思いから書き表したのが『神道新論』であった.
 もう少し準備をして,五月の後半には杉村さんとの対談ができればと考えている.