まことの「あのすなおな心」

 「あのすなおな心」とは、そのまま戦争を受け入れ、今日もまた、異議を唱えて立ちあがることをしない、日本人民の心のありかたそのものではないのかという質問を受けた。

 われわれが日本語の内から見出し,再定義した「あのすなおな心」は、天皇制の虚構を認めない。また、次の五項目に要約される神道の教えにもとづき、世を営む。

 第一に、人はたがいに、尊敬しあい、いたわりあえ。人の力は、世にかえしてゆかねばならない。今の日本では、人は金儲けの資源でしかない。
 第二に、言葉を慈しめ。近代日本の言葉の多くは根をもたない。これでは若者の考える力が育たず、学問の底は浅い。日本語の基層からこれを見直せ。
 第三に、ものみな共生しなければならない。核発電所はかならずいのちを侵す。すべからく運転を停止し、後の処理に知恵を絞れ。
 第四に、ものみな循環させよ。拡大しなければ存続しえない現代の資本主義は終焉する。経済が第一の今の世を、人が第一の世に転換せよ。
 第五に、たがいの神道を尊重し、認めあい共生せよ。戦争をしてはならない。専守防衛戦争放棄、これをかたく守れ。

 これに対して,明治政府は天皇制の虚構と表裏一体に「あのすなおな心」を天皇制と国家神道への従順な心として取りこみ、その実、支配政治をそのまま受け入れるように導く。そしてそれは、あの敗戦において戦争責任を追及することなく戦後政治をそのまま受け入れることにつながり、それが今日に至っている。
 これは歴史的事実である。であるからこそ、神道の教えと「あのすなおな心」を改めて自覚的に取り出すことが、次の時代を拓くための必要条件なのである。