省みる

 8月17日から木曜まで、いろいろ考えることができた。しかし、何ごとも、わかったとは言えない段階である。
 盆に書いたように、どれが自分の一番の仕事かを考え、青空学園数学科こそがそれであることに納得した。そしてこの数日、数学科の制作に時間をかけた。これが数学科の日常活動である。
 日本語科は、扉や書庫の形をいろいろ工夫したが、それはあくまで体裁のことである。今日、散歩しながら思った。では、日本語科の日常活動とは何であるのか。こうして言葉を綴ること自体が日常活動なのか。
 根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。ではこの近代を越えてゆくために何をしなければならないのか。日本語科の扉に次のように書いている。

日本の近代は根なし草であった。
そのゆえにいまかぎりない没落の途上にある。
根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。
青空学園日本語科は言葉を軸に根なし草近代を越える基礎作業をおこなう。

  だが、日常活動としての基礎作業とは何か。そしてそれはできているのか。
 これを考えること自体が日常作業かも知れない。それを含めて考えねばならない。

盆に思う

 この数日、いろいろなことをやっているなかで、どれが自分の一番の仕事かを考えるときがあった。そして青空学園数学科こそがそれであることに納得した。自分としては日本語科こそが一番の仕事だとしてきたが、事実はやはり数学科での蓄積である。

 日本語科はこの数日、扉や書庫の形をいろいろ工夫したが、それはあくまで体裁のことであって、実際に日々やっているのは数学科である。

 

『人、場所、歓待 ―平等な社会のための3つの概念―』を手に入れ読みはじめた。人間が人になる、ということが述べられている。

耳鼻塚の鎮魂・供養と琉球民族遺骨返還訴訟

天木直人

 私は去年の7月に京都に耳鼻塚があることを知って、この耳鼻塚の背景にあった豊臣秀吉朝鮮出兵の残虐性を日本人が広く知る必要性を感じた。
 同時に、それを知った日本国民が、日本人の手で耳鼻塚の下に眠る朝鮮人犠牲者の魂を正しく鎮魂・供養する必要があると思った。
 そして、もしそれが出来れば、日本人のその行いが、日本と朝鮮半島の真の和解と友好関係の構築につながり、それどころか朝鮮半島の祖国統一に役立つことになるのではないかと思い始めた。
 その為には、まず、政治に関心を持たない日本の一般国民の一人でも多くに、京都の耳鼻塚の存在を知ってもらう必要がある。
 そう考えて、私は耳鼻塚を熱心に研究して来た韓国の識者に、日本人向けのわかりやすい解説書を書いてもらおうと頼んだ。
 その識者との打ち合わせのため、私は京都に滞在する機会が多くなった。
 コロナウィルスの為にその専門家はしばらく京都に来ることは困難になったが、私は2月25日から京都に来て原稿を取りまとめる作業を始めた。
 そして、たまたま京都の知り合いから誘われて、私はきのう2月27日に京都地裁で行われた琉球民族遺骨返還訴訟を傍聴した。
 この琉球民族遺骨返還訴訟とは、1928-29年に京都帝国大学助教授が琉球を調査した際、学術研究と言う目的で持ち帰ったとされる遺骨を、その子孫らが返還したいと求めたけれど、その要求に京都大学が応じなかったため、昨年初めから始まった返還訴訟の事である。
 この訴訟を傍聴した私は、この訴訟で原告が訴えていることが、まさしく私が関心を持ち始めた京都の耳鼻塚の鎮魂・供養で訴えようとしている事と、見事に通底している事に驚いた。
 その一つは、魂の鎮魂・供養の重要性であり、人間の尊厳の重要さだ。
 二つめは、琉球も朝鮮も、あの豊臣秀吉朝鮮出兵の犠牲者であったという共通性だ。
 おまけに琉球は、単なる犠牲者にとどまらず、豊臣秀吉に命じられて朝鮮出兵の際の兵站基地となって朝鮮出兵に加担させられたと言う二重の犠牲者でもある。
 三つめは、豊臣秀吉が明治政府によって再評価され、明治政府の富国強兵に利用されたというところだ。
 その結果、明治政府によって琉球が併合され(1979年の琉球処分)、ついで朝鮮が併合された(1910年)のである。
 私がこれから発行しようとしている耳鼻塚の解説書は、もはや琉球民族遺骨返還訴訟と切り離せなくなった。
 ところが、私が驚いたことに、昨日の裁判ではメディアの姿が一切見られなかった。
 案の定、今朝(2月28日)の京都新聞を探しても、この琉球民族遺骨返還訴訟の記事は見当たらなかった。
 もちろん大手紙の京都面には何も書かれていない。
 まるで琉球民族遺骨返還訴訟など京都にとってはどうでもいい訴訟だと言わんばかりだ。
 それどころか、ここまで無視するということは、琉球民族遺骨返還訴訟は、寝た子をさます有害な訴訟だと言わんばかりなのだ。
 もしそうだとすれば、耳鼻塚の問題も同じに違いない。
 寝た子を覚ますつまらない問題だと言う事になる。
 しかし、琉球民族遺骨返還問題も耳鼻塚問題も、寝た子を覚まさなければいけないのだ。
 歴史上の誤りは、その誤りを直視しない限り、再び過ちを繰り返す事になる。
 どうしたらその事を国民に気づかせるか。
 その戦略こそ耳鼻塚の解説書出版の最大の課題である。
 その事を気づかされた、きのう2月27日の京都地裁で行われた琉球民族遺骨返還訴訟の傍聴であった(了)

核炉崩壊以降

 「核炉崩壊以降」という大きなくくりの下で、これまで書いてきたものをまとめ、再構成してゆこうとしてきた。しかし、考え直した。
 『神道新論』そのものが核炉崩壊以降の仕事であるのだ。あの病からの回復とそして核炉崩壊以降の時代が、それまでの蓄積の上に『神道新論』を生み出したのだ。そして、そのなかで核炉崩壊と核惨事が第二の敗北であることに至っているのだ。
 であるなら、より大きな日本近代の枠組を問い直すとともに、次に一歩を踏み出すところに向かわねばならない。

 このように考えるに至ったのは,ひとつはHさんから意見をいただいたことだ。

 もうひとつは『国境27度線』を読んで教えられたのが大きい。

 出版社は,近代日本が覆い隠した,部落差別、琉球奄美、そして、福島の問題をいう。『国境27度線』は近代における奄美琉球の間の問題をいう。そしてこの分断を超えて、琉球奄美が、日本近代に対峙するものとしての共通の場を実現することを提起する。

 この問題は、しかし、日本そのものにおいて存在する。

 それが、日本語の基層を覆い隠した偽りの日本近代の問題である。これは同じ本質である。これが日本という固有性のもとの、本質の同一性である。その上で、さらに資本主義近代そのものの本質としての共通性である。

 私はここを書かねばならない。

Hさんの意見

2020年2月10日(月)

さっそく著書をお送りいただき大変ありがとうございました。

とても気持ちのいい本でした。問題意識を実直に追及することに感動しました。そして日本語の原点に戻って考えを整理することに新鮮さを感じます。
地域を基盤にヒトが協働生活を持続する生き方が神道(カミのミチ)であるとして、仏も共にあるとする考え方に共感します。私は今、70戸の小野で、お寺と神社の総代をしていますが、素直な気持ちで神社をみることができそうです。

私の問題意識は「個人の生活感の豊かさが本質価値である」ということです。大成建設にいる間は、都市を良くしようと考えていました。今は中山間地の里山生活の豊かさが都市の豊かさを超えていることを感じています。そしてどうしたら都市を豊かにできるのかが今の関心事です。都市計画分野では20世紀初頭にハワードが都市と農村の結婚と称して「田園都市論」を展開しましたが、今私は21世紀の農村と都市の結婚を夢見ています。

個人の生活感の豊かさについて書いたものをお送りしますので、ご笑納ください。

2020年2月23日(日)

今、貴メールを読みました。

二度にわたって丁寧なメール、ありがとうございます。
まず、「神道新論」に対する私の理解が間違っていなかったというご指摘に安堵しています。

また、農村と都市の関係を持つ貴殿のライフスタイルの様子を伺って、いいなあと思いました。本質価値を追求する姿勢が出口をきっと見出してくれると思います。ありがとうございます。

まことの「あのすなおな心」

 「あのすなおな心」とは、そのまま戦争を受け入れ、今日もまた、異議を唱えて立ちあがることをしない、日本人民の心のありかたそのものではないのかという質問を受けた。

 われわれが日本語の内から見出し,再定義した「あのすなおな心」は、天皇制の虚構を認めない。また、次の五項目に要約される神道の教えにもとづき、世を営む。

 第一に、人はたがいに、尊敬しあい、いたわりあえ。人の力は、世にかえしてゆかねばならない。今の日本では、人は金儲けの資源でしかない。
 第二に、言葉を慈しめ。近代日本の言葉の多くは根をもたない。これでは若者の考える力が育たず、学問の底は浅い。日本語の基層からこれを見直せ。
 第三に、ものみな共生しなければならない。核発電所はかならずいのちを侵す。すべからく運転を停止し、後の処理に知恵を絞れ。
 第四に、ものみな循環させよ。拡大しなければ存続しえない現代の資本主義は終焉する。経済が第一の今の世を、人が第一の世に転換せよ。
 第五に、たがいの神道を尊重し、認めあい共生せよ。戦争をしてはならない。専守防衛戦争放棄、これをかたく守れ。

 これに対して,明治政府は天皇制の虚構と表裏一体に「あのすなおな心」を天皇制と国家神道への従順な心として取りこみ、その実、支配政治をそのまま受け入れるように導く。そしてそれは、あの敗戦において戦争責任を追及することなく戦後政治をそのまま受け入れることにつながり、それが今日に至っている。
 これは歴史的事実である。であるからこそ、神道の教えと「あのすなおな心」を改めて自覚的に取り出すことが、次の時代を拓くための必要条件なのである。