省みる

 8月17日から木曜まで、いろいろ考えることができた。しかし、何ごとも、わかったとは言えない段階である。
 盆に書いたように、どれが自分の一番の仕事かを考え、青空学園数学科こそがそれであることに納得した。そしてこの数日、数学科の制作に時間をかけた。これが数学科の日常活動である。
 日本語科は、扉や書庫の形をいろいろ工夫したが、それはあくまで体裁のことである。今日、散歩しながら思った。では、日本語科の日常活動とは何であるのか。こうして言葉を綴ること自体が日常活動なのか。
 根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。ではこの近代を越えてゆくために何をしなければならないのか。日本語科の扉に次のように書いている。

日本の近代は根なし草であった。
そのゆえにいまかぎりない没落の途上にある。
根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。
青空学園日本語科は言葉を軸に根なし草近代を越える基礎作業をおこなう。

  だが、日常活動としての基礎作業とは何か。そしてそれはできているのか。
 これを考えること自体が日常作業かも知れない。それを含めて考えねばならない。