核炉崩壊以降

 「核炉崩壊以降」という大きなくくりの下で、これまで書いてきたものをまとめ、再構成してゆこうとしてきた。しかし、考え直した。
 『神道新論』そのものが核炉崩壊以降の仕事であるのだ。あの病からの回復とそして核炉崩壊以降の時代が、それまでの蓄積の上に『神道新論』を生み出したのだ。そして、そのなかで核炉崩壊と核惨事が第二の敗北であることに至っているのだ。
 であるなら、より大きな日本近代の枠組を問い直すとともに、次に一歩を踏み出すところに向かわねばならない。

 このように考えるに至ったのは,ひとつはHさんから意見をいただいたことだ。

 もうひとつは『国境27度線』を読んで教えられたのが大きい。

 出版社は,近代日本が覆い隠した,部落差別、琉球奄美、そして、福島の問題をいう。『国境27度線』は近代における奄美琉球の間の問題をいう。そしてこの分断を超えて、琉球奄美が、日本近代に対峙するものとしての共通の場を実現することを提起する。

 この問題は、しかし、日本そのものにおいて存在する。

 それが、日本語の基層を覆い隠した偽りの日本近代の問題である。これは同じ本質である。これが日本という固有性のもとの、本質の同一性である。その上で、さらに資本主義近代そのものの本質としての共通性である。

 私はここを書かねばならない。